2024年6月7日金曜日

▼「映画界における加害行為に反対します」…映画ジャーナリズムの「一員」として4人の書き手が意見広告

「映画界における加害行為に反対します」
…映画ジャーナリズムの「一員」として4人の書き手が意見広告

 

2024年6月7日() 14:00 読売新聞(恩田泰子)

 

 <私たちは、映画ジャーナリズムの一員として、映画界における加害行為に反対します。>という声明を掲げた意見広告が、映画雑誌「キネマ旬報」5月号に掲載された。広告を出したのは、映画評論家、映画ジャーナリストら4人。映画界では近年、性加害やハラスメントの問題が相次いで提起されてきたが、なぜ、このタイミング、この形で意思表示をしたのか。4人に聞いた。

 

「私たちが責任をもって取り組むべきこと」

 この意見広告は、金原由佳さん(映画ジャーナリスト)、佐野亨さん(映画評論家、編集者)、関口裕子さん(同)、月永理絵さん(ライター、編集者)の4人が合同で出した。1ページ分のスペースに、冒頭の言葉を含めて約870字の文章と4人の名前を記したシンプルな構成。日本の映画業界におけるさまざまな加害行為の問題が近年、次々と提起されていることと、それに対して、映画ジャーナリズムが果たすべき役割と現状、そして課題を問いかけている。

 

 具体的には、問題の背景に<映画界が長きにわたって加害的な体質を擁し、それに対する問題意識を欠いたまま、改善への取り組みを怠ってきたこと>があると指摘。一方、日本の映画ジャーナリズムも、この問題に対して<十分にその機能を果たしていません>とし、そのため、<被害当事者が非常な精神的負担を抱えながら行動せざるをえない理不尽な状況>が継続していると記す。

 

 その上で、<映画作品を論評すること、映画人の声を伝えることが映画ジャーナリズムの役割であるならば、映画界で起きている加害行為に向き合い、構造的・本質的な問題を検証し、改善に向けた働きかけをおこなっていくことも、私たちが責任をもって取り組むべきことではないでしょうか>と問いかけ、<映画ジャーナリズムに携わる書き手全体に対して、問題意識を共有し、共に対話や議論の場をつくっていくこと>を呼びかけている。

 

楽観的になれない現状

 2022年3月、映画監督に性暴力を受けたとする女優たちの証言が週刊誌で報道されたのを機に、日本映画界における性暴力やハラスメントの問題は大きな注目を集め、ジェンダー・ギャップや労働環境を含め、改善を求める機運が高まった。制作に携わる人々が安心して働ける環境づくりに向けて、有志の映画監督らがさまざまな取り組みを展開。また、23年春には「日本映画制作適正化機構」が始動し、働く環境の適正化を目指しての第一歩を踏み出した。一方、映画ジャーナリズムの側も、たとえばキネマ旬報が「#MeTooから考える」(※注1)というシリーズ企画を掲載するなど、記事を通して現状や課題を掘り下げてきた。また、今回声明を出したひとり、佐野さんは別の媒体でミニシアターのハラスメント問題についての記事を書いてもいる。

 

 ただ、問題は広く、根深い。世に出るケースは「氷山の一角」と言われ、決して楽観的になれないのが現状だ。そんな中、今回の意見広告は出た。

 

 佐野「この間(かん)、SNSでさまざまな加害の問題が提起され、僕の周りにも喧々(けんけん)ごうごう議論していらっしゃる方がたくさんいました。ただ、それはどちらかというと、映画制作の現場やアカデミズムの中にいらっしゃる方たち。本来であれば映画ジャーナリズムこそ構造的な問題についての議論を先導していくべきなのにまったくと言ってよいほど機能していない。僕自身もその片隅にいる人間として、心苦しい思いがありました」

 

自分たちのこととして

 今回の声明の出発点は、2023年秋の佐野さんと月永さんの意見交換だった。佐野さんが「映画界での加害行為について何か反対声明のようなものを出せないか」と考え、交流のあった月永さんに相談したところ、「問題意識が強く信頼できる賛同者が必要ではないか」という話になった。そこで名前があがったのが金原さん、そして関口さん。4人で会合を持ち、どういうことができるのか、話し合った。「我々が改めて何か発信するのであれば、単に声明を出すだけでは遅きに失しているのではないかと当然考えていました」(佐野)。被害状況を調査、取材した上で新たに打ち出すのはどうかなどといったアイデアを話し合ったが、すぐに結論は出なかったという。

 

 ただ、今年2月、転機があった。性加害を女優らから告発されていた映画監督が、準強姦(ごうかん)容疑で逮捕された(注2)。そのニュースを受けてSNSでさまざまな声があがった。「この時期をずらさずに『私たちはこういうことを考えている』ということを表明すれば、みなさんが改めてもう一度考えることにつながるのではないか。記憶と記録に残るタイミングで、形にしたいと考えました」(関口)。何らかの雑誌媒体で特集記事のような形が取れないかということについても話し合っていたが、タイミングを重視した結果、まず、キネマ旬報に意見広告を出すという選択をした。

 

 関口「映画業界の中の自分たちのこととして呼びかけるには、まずキネマ旬報への意見広告を出す形にしてよかった、と思っています。もちろんもう根本的に業界の中でとどめる話ではないと思うので、ほかの媒体で広く知っていただくということも大事だと思っていますが」

 

 (※注1)#MeTooは、性暴力の被害体験の告発運動。
 (※注2)映画監督の榊英雄被告が、2024年2~5月の間に3度、俳優の女性らへの準強姦容疑で逮捕され、そのうち2件で起訴された。同被告をめぐっては、週刊誌で女優たちが性被害を受けたと証言していた。

 

SNS以外の場で

 最初の意見交換の段階から模索していたのは、やれることだったという。

 

 金原「加害の告発は、『X』(旧ツイッター)などSNSで発せられることが多いですが、たとえば、60代や70代の方はSNSをやっていない方が多い。問題に関心を持っていらっしゃる方でも、SNSに触れていないから全然知らなかった、後から聞いて驚いた、とお話しされることが少なくありません。SNSをやっていても、これは世代に関係なく、情報との触れ合い方にすごく濃淡があって、そうした意味での分断もかなりあるのではないかと思ったりもします」

 

 佐野「SNS自体は有用なツールですし、被害を受けた当事者が問題提起をする場としても機能している。#MeTooのようにどんどん活用していけばいいと思います。ただ、その反面、SNSでは問題への意識や理解度の濃淡もまちまちな人々の言葉が一緒になって流れてきて、論点の整理が追いつかない面もあるし、被害者への二次加害的な言説も見受けられる。立ち止まって言葉を一つ一つちゃんと定着させていくというか、そういうあり方を実現できたら、と思います」

 

ライターや評論家で「話をしていきませんか」

 今回の意見広告には、<映画雑誌やウェブマガジン等のメディアがこうした問題についての記事を企画・掲載することを望みます>という文言も入っている。月永さんは、「一方でライター個人として何もできないなという反省が自分の中ですごくありました」と言う。

 

 月永「自分自身はどちらかというと作品評や監督の新作のインタビューをするという仕事が普段はメインです。加害の問題が明らかになってきた時から『(業界の構造を改善するために)何か自分もしなければ』と思いながらも、まずどういうふうに動けるかということが、もうこれは本当に恥ずかしながらではあるのですが、まったくどうしていいかわからなかったというのが本音です。なので、今回の声明には、メディアに呼びかけると同時に、同じような思いを個人で抱えているライターの人たちに『一緒に話をしていきませんか』という呼びかけをしたくて参加したという面もありました」

 

 佐野さんは「映画ライターや映画評論家はたいていはフリーランス。個人で仕事をしているので、問題意識は持っているけれど、誰とどうつながって、どう発信したらいいのかわからない方も多いはず」と補足する。「ただ、もはや何かを個人個人で抱えていてもどうにもならないところまで現状は来ていると思います」

 

光の部分だけでなく、影の部分も

 たとえば金原さんは、「告発した人の仕事環境を守りながらどう記事にすればいいのか、本当に難しくて、今に至っている」と明かす。

 

 金原「取材で大変紳士的な振る舞いだった人の加害の話を聞いて、驚くことが多い。加害する側は見せる顔を相手によって使いわけるので、ハラスメントは当事者以外にはわかりにくくて問題が深くなる。立場が弱い人にしか見せない裏の顔を、表の顔しか知らない映画人に立証することが被害者にはとても難しい。でも、そういう一番弱い人に見せた顔も、私たちは記録して映画史に残さなきゃいけないんじゃないか。光の部分だけでなく、影の部分も」

 

映画に関わる言論の力は今…

 佐野さんは、映画界の力学バランスにおいて「映画に関わる言論の力が、今すごく弱くなっているのではないか」と危ぶんでいる。

 

 佐野「子供の頃、僕は映画批評を読むのが好きで、さまざまな映画評論家の方たちが書かれた物を仰ぎ見るように読み、それで映画の知識を体得したという感覚がある。今は、批評を読む読者があまりいない。映画会社の側も批評が興行に影響するという具体的な実感を持っていません。むしろYouTubeやSNSで発信しているインフルエンサーのほうがはるかに影響力がある。そうして力が弱まると、映画ジャーナリズムと映画の作り手、映画会社との力学バランスが崩れ、映画界内部の問題に映画ジャーナリズムが正しく対処することができにくくなると思います」

 

 批評を含めた映画をめぐる言論には、観客の知見を広げ、目を肥やし、その目が映画や映画界をレベルアップさせていくという文化的役割がある。興行への寄与度という経済的側面だけで価値をはかられると、ひずみが生じてくる。

 

 月永「(一部の作品を除いて)、映画の興行成績が難しくなっていることもあって、映画を応援していかなければいけないという意識が、書き手側にも大きいんじゃないかと思うんですよね。新作が出たら盛り上げて映画という文化を守っていきましょう、と。もちろんそれは正しいと思う反面、映画を守っていくのであれば、その労働現場にいるすべての人たちを守っていかなければいけないと思っています。応援一色というか、宣伝と一緒になって書き手がどんどん映画を盛り上げるだけというところは、一度ちょっと立ち止まって考えたいと思っています」

 

 意見広告の背景には、映画に関する言論のあり方を豊かに広げていきたいという思いがあるようだ。記された問いかけは、「自分たちに向けた言葉でもあるな、と私も思います」(月永)。文面が、勇ましい主張一色になっていないのは、それゆえだろう。

 

 関口「佐野さん、月永さんは、決まりきった慣用句や様式を使わずに今回の文面を考え出していますが、それが何より素晴らしいと思っています。そうやって、新しい、もっと身近な言葉で呼びかけていくことこそが、今のやり方だと思うので」

 

ゆるやかに結びつけば

 今後、具体的な方向性をどうするのかは、現時点では決まっていないという。

 

 関口「私としては、今回の声明は、(映画ジャーナリズムに携わる)みなさんに呼びかけて、それぞれが自分の立場で関わっていただけるといいな、というつもりの第一声です」

 

 佐野「別に僕らは映画ジャーナリズムを代表しているわけでも何でもありませんが、映画にまつわる言論活動に携わっていて、われわれと意見交換してくださる方が出てくればありがたいですし、実際、そういう連絡をぽつぽつといただいているところなので、少しずつつながりを広げていければいいな、と思っています」

 

 金原「声明を読んで、それぞれの知り合いが声をかけてくれています。本当にたくさんいらっしゃいますよ、ということをタイミングを見て、何らかの形で表明したいと、4人で話しています」

 

 月永 「今回こうして4人で集まったわけですが、みんなそれぞれちょっとずつ問題意識も違いますし、仕事のやり方も、ネットワークも異なっている。でも、だからこそ、話すたびに自分ひとりに見えているものはすごく狭い範囲だったということに気づかされるんです。話ができる人がさらに増えて、この問題は自分ではなくてあの人のほうが得意かもしれないとか、必要な時には頼れる結びつきが作れると、ひとりで抱え込まずに分散することで可能性も広がっていくんじゃないかな、と考えています」

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