2021年3月1日月曜日

【石川】心の傷は 卒業できない 金沢地裁 アカハラ訴訟和解決裂

【石川】心の傷は 卒業できない 金沢地裁 アカハラ訴訟和解決裂

 

202131日(月) 5:00 中日新聞(前口憲幸)

 

「名門大学の音楽レッスン」

全否定された女性 音声を証拠提出

 学生時代に教員から不適切で不当な指導、いわゆるアカデミックハラスメント(アカハラ)を受け、精神的に追い込まれたとして、フェリス女学院大(横浜市)を卒業した石川県内の三十代女性が約五百五十万円の損害賠償を求めた訴訟が金沢地裁であり、和解協議が決裂した。近く本人尋問が開かれ、女性自らが証言台に立ち、今なお続く苦痛を語る。双方の代理人弁護士への取材で分かった。

 訴状によると、女性は音楽学部に入学。声楽やピアノ、バイオリンの個人レッスンで、それぞれの指導教員から「素質がないから続けても無駄」「耳、腐ってるんじゃないの」などと言われたり、「声がつぶれるくらいに百回ほど歌え」と罵倒されたりしたとしている。しゃべり方や歩き方、笑い方まで誹謗(ひぼう)中傷されたほか、両親を侮辱する発言にも深く傷つき、学ぶ意欲が奪われたとしている。

 提訴は二〇一八年三月。二〇年十月に地裁から和解案が示されたが、物別れに終わった。大学側は「あくまでも指導の一環」「全体をみれば励ます趣旨だと分かる」との認識を示し、誤った指導はなかったと主張している。

 卒業から十年余り。悔しくて、情けなくて、今でも思い出すたび、涙が出る。「全否定され、自信を失った。あんなに大好きだった歌が、今はもう怖くて歌えない」。原告の女性が本紙の取材に応じ、個人レッスンの音声データを証拠として金沢地裁に提出したことを明かした。泣きながら歌った「授業」。トラウマ(心的外傷)となった過去を語った。

 「目の前の先生に強く言われ、萎縮した。いつもおどおどしている自分がいた」。手あかがついた当時の楽譜をめくり、女性は重い口を開いた。脳裏にこびりつくのは、教員と一対一になったレッスンの光景だ。

 手元にある四年分の膨大な音声データ。提出したのは、ほんの一部の約十八時間分だが、差別的とも取れる言葉が録音されている。

 声楽のレッスン。「遊女みたいなんだけど」。教員のちゃかすような笑い声が響く。目を閉じて歌っていた女性は恥ずかしくて、声が出せなくなったという。

 大事にしてきた声質は広がりのない「喉声」と表現され、「骸骨みたい」との発言も。オペラの舞台に立っても「一生脇役」で、女性が適しているのは「女中(じょちゅう)さん役」との助言もある。

 歌う時の「癖」も指摘。「うふ〜んって感じで笑う」「にゃ〜んって」と誇張してまね、笑い方が発声に影響しているとして「もっと清潔に」と注意される。

 「合唱で邪魔」「一番の欠点は自滅」「勉強不足」「内股が気になる」…。どうしてよいか分からず、うろたえる女性が、しくしくと泣きだす。しゃくり上げながら、歌う場面もある。

 幼いころから歌が大好き。自宅でカラオケのマイクを離さなかった。五歳でピアノを始め、音感やリズム感の基礎教育も受けた。合唱のステージに立ち、自信が芽生え、高校時代は英語を猛勉強。「留学がしたくて。オペラ歌手に憧れた」。夢を抱き、家族に励まされ、石川県から首都圏の名門へと進んだ。

 「歌っても、笑っても、立ってる姿もダメ。心が折れた」。嫌がらせを受けていると悩んだ。屈辱は消えず、苦しみ抜いた末、三年前に提訴。「一体どんな両親に育てられたのか。顔が見てみたい」。この言葉が今も、胸に刺さっている。


《カウンセラー松川のコメント》

音楽好きと音楽の才能が一致する訳ではありません。
大学は専門的な勉強をする場である上に、
芸術等の学術的な部分以外も必要な領域では
本人の努力だけでは無理な場合もあります。
しかしながら、大学当局が入学を許可した以上は
教員も学生に対して真摯な態度で臨むべきであり、
本人への中傷をする必要はありませんし、
家族にまで言及する必要は皆無です。
教員が「指導するに値しない」と判断したならば、
入学を許可した大学当局や本人と話し合うべきでしょう。
言葉の暴力で学びの場から追い出そうとするのは
教育者として余りに卑怯な手段です。
これだけの音声データが証拠として採用されるのならば、
原告にとって相当有利な展開になると思います。

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